良い職に就き、優秀な子供たちに愛され、幸せな人生を送る。そんな夢からかけ離れた人生と、弱い自分自身を受け入れられない男は、次第に幻覚を見るようになる。人は何のために生きるのか。深い議題を投げかけてくる近代演劇の金字塔『セールスマンの死』を観劇してきました。(2022年4月・パルコ劇場)
社会の競争に翻弄された末に待っているもの
アーサー・ミラーの代表作であり、トニー賞、ニューヨーク劇評家賞、ピューリッツア賞を受賞した『セールスマンの死』。かつて敏腕セールスマンとして活躍したウィリーは63歳になっても、地方へのセールスへの旅を続けていました。“人に良い印象を残せば、必ず成功する”と信じていた彼は、競争が激化した時代の変化についていけず、思うようにセールスの成績が上がりません。
学生時代クラスの人気者だった自慢の息子は、30歳を過ぎても定職に就けていない状態。ウィリーを敬愛していたはずが、今や会うたびに喧嘩になってしまいます。男としての理想、人生への希望が崩れ去った時、ウィリーはどこで歯車が狂ったのか、過去の回想や幻想から離れられなくなっていきます。
1950年代前後のアメリカを舞台に描かれた物語。競争社会の弱者としてウィリーを捉えることもできます。しかしウィリーは、現代にも通ずる姿。人間は誰しもが、理想の自分像に囚われ、そのギャップとなる失敗を隠そうとするもの。ありのままの自分で良い、と思っていたとしても、時に何もかもがうまくいかない時、全てから逃げたくなるものです。
観客席から客観的にウィリーを眺めれば、“もっと素直になれば良いのに”“弱さを認めた方が家族と分かり合えるのに”と冷静に考えることができます。しかし、自分の人生を客席から眺めることはできません。自分が辛い時、それを認め、助けを求められる人がどれだけいるだろうか。作品が誕生して70年もの月日が流れた今、弱さを吐露できる社会になっているのだろうか?様々な議題を投げかけてくる作品です。
実力派キャストの熱演と、“空虚”を体現したような舞台演出
ウィリーを演じるのは、テレビ・映画・舞台で活躍する名俳優・段田安則さん。夢、プライド、理想にがんじがらめになりながら、孤立していく男の姿を粛々と演じ、舞台全体をウィリーの闇で包んでいきます。ウィリーの家族を演じるのは、鈴木保奈美さん、福士誠治さん、林遣都さんら実力派俳優たち。現在の姿と、ウィリーが振り返る過去の姿を自在に演じていきます。
幕が開いた時、目の前に広がっていたのはパルコ劇場の広々とした舞台。セットと言えるものは、舞台の中央にぽつんと佇む冷蔵庫だけ。そこに彼の自宅や、息子たちと過ごした庭などのセットが可動式でやってきては去っていきます。幻想や妄想、回想と現実の間を行ったり来たりしながらも、ベースにあるのはだだっ広く飲み込まれそうな灰色の舞台。まるでウィリーの空虚な心の中を覗くような演出に、ぐんぐんと心が惹き込まれていくのを感じました。
『セールスマンの死』は4月29日までパルコ劇場にて上演。5月より松本・京都・豊橋・兵庫・北九州公演が予定されています。チケットの購入やスケジュールの詳細は公式HPをご確認ください。
SNSで自分を“着飾る”こともできる今、ウィリーのような孤独はより深まっている時代なのかもしれません。