8/24(水)〜8/31(水)シアタークリエにて上演される『ダディ・ロングレッグズ』。原作は児童文学作品で、日本では「あしながおじさん」の名前で親しまれています。今回は、原作小説から当時の暮らしについての理解を深めていきましょう。ミュージカル『ダディ・ロングレッグズ』について詳しくはこちらの記事から。

孤児が急増した20世紀初頭

ミュージカル『ダディ・ロングレッグズ』の原作は、アメリカの女性作家ジーン・ウェブスターが1912年に発表した、同名の児童文学作品。ミュージカル版では、主人公の少女・ジルーシャと、ジルーシャの手紙の宛先であるジャーヴィスとの二人芝居の形式に翻案されていますが、原作ではジルーシャの一人称視点で書かれた手紙だけで構成されています。

今回は、原作小説から20世紀初頭のアメリカの暮らしを紐解いてみましょう。19世紀半ば以降のアメリカでは、ヨーロッパ移民の急増、南北戦争、不況が災いして所得の格差が広がり、生活苦で子供を手放す親が多くいたそう。孤児院はそのような子供たちを受け入れるのに手一杯で、子供たち一人ひとりに目を配り、細やかな世話ができる状況ではありませんでした。

アメリカの児童文学の黄金期、1865〜1914年までのベストセラーをみても、『若草物語』のローリー、『小公女』のセドリック、『オズの魔法使い』のドロシー、『秘密の花園』のメアリーなど、孤児もしくは親と離別した子供たちが多く登場します。

『ダディ・ロングレッグズ』の主人公・ジルーシャは孤児院の中で一番年上だったこともあり、年下の子どもたち97人の面倒をみて、掃除や洗濯なども請け負っていました。高校は卒業していますが、十分な教育は受けられていらず、大学に進学してからジルーシャは自分の無知を知り、そのことを「18年間のブランクが人よりもある」と言い、大学での勉強の他にたくさんの本を読んで過ごしています。

固定概念にとらわれない考え方ができる、聡明なジルーシャ

また、アメリカでは、19世紀中頃から奴隷制廃止運動から始まった人種差別反対の運動が、女性差別に対しても拡大し始めていました。女性が高等教育を受けることのできる大学は19世紀末〜20世紀初頭にかけて多く作られました。

しかし、ジルーシャのいた孤児院の院長・リペットが「あなたのような立場の女の子で、こんな機会を得て世に出られるのは、滅多にないこと」と言うように、誰もが教育を受けられる環境にはなっていませんでした。ジルーシャが手紙の中で「女性に選挙権があればいいのに」と言うように、女性にはまだ参政権も与えられていません。女性にも参政権が与えられるようになったのは、1920年に合衆国憲法の修正条項が可決されてからのことでした。

ジルーシャは、『若草物語』(1868年〜1869年)の次女・ジョーのように、当時の固定概念にとらわれない新しいものの考え方をしている女性です。手紙の中で「結婚しても主婦と作家の両立はできないわけではない」や「私は自分の望みを通そうとして、男の人に取り入るのを軽蔑します」と自分の意見をあしながおじさんに話しています。

また、ジルーシャはフェビアン協会という団体の会員にもなっています。フェビアン協会とは、ゆっくり時間をかけて社会改革しようという団体で、ジルーシャは「産業改革、教育改革、孤児院の改革を始めることによって社会を変える準備を進めなくてはいけない」と考えていることが、手紙で話されています。ジルーシャの聡明で、自立した女性へと変化していく様子が細やかに表現されている作品です。


ミュージカル版の『ダディ・ロングレッグズ』でも、こうした社会背景が感じ取れる作品になっています。ミュージカル『ダディ・ロングレッグズ』は8/24(水)〜8/31(水)シアタークリエにて上演です。公式HPはこちら

ミワ

新しいことを学び、楽しく生きる術をどんどん身につけていくジルーシャの姿がとても愛おしい原作でした。