2015年に初演され、2020年のロンドン公演では「オフ・ウエスト・エンド・シアター・アワード」の2021年度最優秀新作賞を受賞したセルヒオ・ブランコ作の舞台『ナルキッソスの怒り』。リアルとフィクションが交錯する、オートフィクションという形で描かれる本作に、成河さんが一人芝居で挑みます。演出を手がけるのは、藤田俊太郎さん。お二人が上演台本を含めて作品の創作に挑んでいる稽古場に伺い、本作の魅力をお話しいただきました。

何がリアルで何がフィクションか?自身の存在まで問いかける戯曲

−本作では、セルヒオさんと成河さん自身の交流について語るところから始まります。セルヒオさんとの出会いについて教えてください。
成河「えーっと、ではこの”出会い”については劇中のオートフィクションに基づいてお話ししますね。どこまでが虚構でどこまでがリアルかはご想像におまかせします。僕はセルヒオとロンドンのワークショップで会いました。彼は向こうではかなり有名人ですが、セルヒオはウルグアイのモンテビデオ出身で今はパリに住んでいて、母国語がスペイン語、第二言語がフランス語なので、英語はあまり得意ではないんです。僕とはカタコトの英語同士で仲良くなって、3〜4年ほど、メールをしあう仲です。この企画の話を聞いたのは2024年のことでした。急に電話をかけてきて…そういう人なんです。思いついたらすぐ、みたいな。一緒に作品を作ろうということでしたが、実現はしないと思っていました。彼のオートフィクション作品というのは上演にあたって超えなければいけないハードルがいくつもありますし。でも彼の『テーバスランド』という作品は日本でも2022年にシーエイティプロデュースによって上演されていましたので、シーエイティプロデュースさんと一緒だったら実現できるかもしれないと思い、今回の上演に至りました。はい、ここまでがオートフィクションです」

−作中では劇作家であるセルヒオさん自身と、ある犯罪について描かれていきます。
成河「彼が実際に滞在したスロベニアのホテルでの風景をそのまま書いています。芸術家とはどういう存在なのか、“All about Art”が彼にとって非常に大きなテーマなんだと思います。そこに犯罪というものが入り込んでくる。社会から疎外されてしまうような存在である芸術家と犯罪者、非常に薄膜で区切られていて、紙一重にあるところの境界線とはどこなのか。芸術として昇華される場合と、何を満たせなければ犯罪行為に至ってしまうのか。そういうところを彼は非常に真剣に考え抜いているように思います。
そして彼は大学で教鞭も取っていますから、演劇とは何か、演劇学について考えています。日本では演劇人で大学の先生で、講義をしたりシンポジウムで喋ったりというのはあまり想像がつかないかもしれませんが、欧米ではよくある話です。この世界を鏡に映すという芸術としての営み、シアターを捉えている彼なりの芸術論、芸術を問うような作品だと思います」

藤田「この作品はリアルとフィクションがないまぜになったオートフィクションであり、冒頭から物語であることを台詞でも明言しています。その中で犯罪や暴力、戦いなど、非常に痛々しい、人が人を傷つけてしまうシーンが描かれます。フィクションだと言い切れば言い切るほど、今のこの世界、観客の私たち、作り手の私たちが生きている現実や心のあり方というのはどこにあるのだろう、もしかしたらリアルとフィクションが混ざっているこの物語を体験するときに、自分自身こそが疑うべき存在になり得ているのではないかというところまで問い詰められる戯曲だと思います。
犯罪の痛々しさを劇場で、想像力で知ることができた時に、本当の真実に出会えるのではないか。これが演劇そのものの意味、もしくは役者が演じることの意味なのではないかと思いながら、稽古をしています」

成河「まさに、想像力ですね。今は想像力が弱っている時代だとか言われていますけれども、もうちょっと想像力とはどういうものかを見つめなくてはいけないと思います。想像力というのは、非常に危険にもなり得ます。
想像力を間違えば、人間は人格を壊しますし、誰かの領域を犯します。包丁のようなものですよね。包丁をうまく使うにはまず包丁がどういうもので、どう使ったら何ができるのかということを知らなくてはいけない。そういう怖さを考慮せずに、想像力は良いもの、必要なものと言ってしまうのは危険ですし、想像力の恐ろしさを安全に体験できるのが劇場なのだと痛感します。
劇場は安全な場所ですが、決して心地よいだけの場所ではない。あなたの想像力は行き過ぎると危険になりますよということを、いかに役者が演じられるかが大切ですし、役者は想像力の危険性を理解し、慎重に扱わなければいけません」

−「想像力が失われている」とも言われる今この時代に、日本でこの作品をやることについての想いをお聞かせください。
藤田「これほど役者、スタッフ、関係者といった作り手の皆々様と心を開いた対話が必要な作品はないなと感じています。虚実の交錯する物語を立ち上げていく過程で、作り手そのもののリアルが問われるからです。
成河さんは表現者として押し付けがましくなく、時に痛烈に、時に楽しげに喜怒哀楽の全てをお客様にこの作品を通してお渡しします。この作品ほど、上演中にお客様が心の中で言葉を豊かな物語を想像していただけるのではないかと思います。
今が大きな物語を想像し得ない時代なのだとしたら−それは観点の1つでしかないと思いますけれども、心を開き続ける役者と向き合い、お互いに響きあう想像そのものの力を題材とした作品はとても意義深いのではないかと考えています。もしかしたらこの物語のあまりの重量感に、驚く方もいるかもしれませんが、観劇後に心を潤いで満たして劇場から帰っていただけたらと思っています」

相反する感情や語り口、多面性を視覚的に表現

−藤田さんの演出作品は舞台空間の使い方が印象的です。演出においていつも心に置かれていることは何でしょうか。
藤田「空間を設計する前に台本を読み込んでよく考えます。作品全体は、成河さんが目の前にいるが、語っていることは確かに真実であるけれど、本当に真実なのかはわからず、お客様は観劇しながら常に何かを問い続けている、という構造を持っているということです。
ものすごく悲しいことを話している時に、ものすごく楽しい要素が舞台上にあったり、相反するものがあったり。次々に人物があらわれて、多くのことを語ります。貫通するテーマを空間で表現しようとした時に、この作品で具体的に言うと、セットの中に硬質なアクリル素材の構造物を置きました。時に成河さんが演じるキャラクターが映りこんだり、透けたり、もしくは乱反射したり。虚実が混ざり合っていくこと、または相反する感情や語り口、多面性を視覚的に表現しています」

成河「藤田さんは空間へのこだわりをすごく持っている人なので、信頼しています。
もう一つ我々が考えておかなければいけないと思うのは、今の日本にとって、今の我々にとって何なのかという視点。ここは素通りしてはいけない部分です。
日本ではどうしても芸術というのは内向したイメージがありますが、西洋圏の演劇人は世界の色々なものに誠実に向き合っています。本作で言えば難民の問題です。これもセルヒオを本当に尊敬できる部分で、彼は作品を通して真剣に対峙して、対峙した末に、自己矛盾にぶち当たる。自分の中にあるアンビバレンスに気付き、“じゃあ、お前はどうなんだよ”という問いに帰っていく。これが想像力だと思います。
今の日本では、僕を含め、世界情勢や戦争といったものに対して、きちんと姿勢を作ることに慣れていないから、極端に右に行ったり左に行ったりしてしまう。これは想像力の欠如からくるものだと感じます。
セルヒオは世界と向き合った時、知識人の仲間入りをしている自分をまず疑います。そこが誠実だと思います。僕らは極端な賛成・反対にすぐに飛躍するのではなく、まず色々なことを疑ってみなければいけない。劇場がシンプルに何かを信じる場所になるのはとても危険で、劇場は基本的に何かを疑ってみる場所だと思います。それをセルヒオは誰よりも分かっていると改めて思いました。信じるエネルギーというのはポジティブなものですが、危険性も孕んでいます。それを止めるために、劇場があって、想像力がある。想像力というのはある意味、ブレーキをかけるものです。
今後の世界情勢や難民の問題はどんどん深刻化していくでしょう。でも今の僕たちはそれに対して意見を持てない。その時に、こういった作品を観てもらうことで、自分の意見の表明の仕方、スタンスの持ち方の参考になるのではないかと思います。僕自身は参考になっていますし、彼は極端な方向にエスカレートしていくのを止めるための想像力という使命を負って、劇を作っていると思いました」

藤田「格差の隔たりが大きくなっている時代に、じゃあ自分は何ができているのか、世界中から大学教授が集まる大学の学会で、何をどれだけ語れているのか、と言葉の番人、作家であるセルヒオさんは向き合います。非常に明晰なスピーチの中で、常に自身への批評を持ち続けている。登場人物セルヒオの人物としてのあり方や言葉が見事であればあるほど、その中にある批評性が浮かび上がります。
なぜ暴力は無くならないのか、人と人の争いは無くならないのか。と同時に、自分の言葉は無力ではないのかと、作家としてのあるべき現在性を模索しています」

成河「世界情勢も含めて、どうも答えの出ない、人間の暴力も含めた本能や、アンビバレントな自分の中にある厄介なものに対して、オブラートに包まずにガーッと手を突っ込んでいった後、最後に彼なりの微かな希望というのをきちんと書いているので、それを届けるのが目的になっていくのだと思いますし、そういう視点があるからこそ素晴らしい作品だと思います」

撮影:山本春花

−最後にメッセージをお願いします。
成河「セルヒオ・ブランコはまだ日本では紹介されきってはいないと思いますが、芸術家としてすごく誠実で、野心もあって、今を生きるシアターアーティストです。彼の生き生きとした、演劇を観られる機会はなかなかないと思います。真摯に取り組んでおりますので、ぜひ体験していただければと思います」

藤田「稀有な演劇人であり、全身全霊で作品に取り組む成河さんを尊敬しています。『ナルキッソスの怒り』という鮮烈な作品を、素晴らしいスタッフたちと稽古場で作った結果、演劇やものを作ること、言葉や物語を伝えるという喜びが人の魂に触れる瞬間そのものを切り取ったような、素敵な作品ができました。
お客様がこの作品を観る時、自分の生活からはすごく遠いところにあるフィクションだと思うかもしれません。でも観劇後にはご自分に最も近い、きっと、これは自分自身の手の届く場所を想像できる物語だなと思っていただけると思います。稀有な体験を劇場でしていただけると確信しておりますので、ぜひ劇場にお越しください」

舞台『ナルキッソスの怒り』は2026年4月18日(土)から4月30日(木)まで東京芸術劇場 シアターウエストにて上演されます。公式HPはこちら

Yurika

稽古場では台詞一言一言にお二人が向き合い、翻訳を検討しながら、あらゆるパターンで演じてみながら作品を探究されていらっしゃいました。一人芝居ながら、非常に多角的に作品と向き合われている姿が印象的でした。お伺いしたのがちょうど戯曲の後半部分ということもあり、セルヒオの真意に迫る台詞が多くあったため、対談でも深いテーマでお話をお伺いすることができました。本作の稽古を拝見し、お二人とお話をして感じたのは、直視するには厳しすぎる世界と、それでも向き合うために劇場に行くんだなということ。私自身は、普段の日常では辛いニュースを見ることがなかなかできません。でも劇場では物語を通して、それらと向き合うことができますし、観劇後も深く心に残り続け、考え続けます。劇場というのは世界と繋がる場所でもあるのだなと改めて実感しました。