「演劇は時代を映す鏡」。この言葉を耳にしたことがある方も多いかもしれません。この金言は、今から400年以上も前に、ある劇作家によって生み出されたセリフです。このセリフを言ったのは誰なのか、そして「演劇は時代を映す鏡」という言葉にはどんな力があるのでしょうか。日本の演劇史を通して考えてみましょう。
誰が言った?「演劇は時代を映す鏡」
この名言を生み出したのは、劇作家・詩人のウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)です。
彼の代表作のひとつである『ハムレット』第3幕第2場で、主人公・ハムレットが、宮廷劇を上演する役者たちに演技指導を行う際のセリフです。
「劇というものは、いわば、自然に向かって鏡をかかげ、(中略)時代の様相を浮かび上がらせる」(福田恆存・訳、新潮社)、「芝居の目的とは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡を掲げること、(中略)時代と風潮にはその形や姿を示すことだ」(河合祥一郎・訳、角川文庫)など、翻訳者や時代によって微妙に言葉は異なりますが、いずれも本質的なメッセージは共通しています。
演劇界では「演劇は時代を映す鏡」という言葉が広く浸透しています。それは、この言葉が演劇の本質を表現しているからではないでしょうか。
日本の近代演劇史にみる「時代」の姿
この「演劇は時代を映す鏡」という視点から、日本の近代演劇史に注目してみましょう。演劇とは時代の流れを色濃く反映し、その姿を強烈に映し出したものだとわかります。
たとえば、太平洋戦争下での日本では、多くの劇団が独自の活動をできず、苦しい立場にありました。全国各地を回って「国策宣伝」を織り込んだ娯楽劇の上演をせざるを得ない状態へ追い込まれたのです。
その後、終戦を迎え、多くの劇団が西洋の翻訳劇を上演しました。戦争が終わったことによって演劇界にも自由が戻ってきたことがわかります。
そして1960年代の後半には、学生運動が盛んに繰り返されてきた当時の世相を映し、演劇界にも「反体制」の動きが巻き起こりました。
特筆すべきは、この頃出現した「小劇場運動」です。早稲田小劇場や自由劇場、天井桟敷といった多くの劇団が結成され、唐十郎や寺山修司など、既成の概念に囚われない劇作家たちが活躍しました。
戦中から小劇場運動までの演劇界の流れを見てみると、演劇がいかに時代と連動し、その様子を映し出しているかがわかります。
『ミス・サイゴン』『レミゼ』戦争や革命を映し出す作品たち
また、日本だけではなく世界中で愛される演劇・ミュージカル作品には歴史上で起きた戦争や革命を描いた作品も少なくありません。
ベトナム戦争は、1955年11月1日から1975年4月30日のサイゴン陥落までの、長い戦争のことです。1975年のベトナム戦争末期のサイゴンを舞台に、少女キムとアメリカ兵クリスの悲恋を描いたのがミュージカル『ミス・サイゴン』でした。
『ミス・サイゴン』は、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』から着想を経て誕生しました。
アメリカ兵として戦場に身を置きながらも戦争に疑問を持っているクリスと、戦禍ですべてを失ったキム。フランス系ベトナム人の「エンジニア」が経営するキャバレーで出会ったふたりはたちまち恋に落ちます。
永遠の愛を誓ったふたりでしたが、サイゴン陥落の中で離ればなれになってしまいました。キムはいつの日かクリスが迎えに来てくれることを信じ、クリスとの間に授かった息子・タムを育てていました。
一方、アメリカに帰国したクリスは、戦争による後遺症に悩まされていました。そんな彼のそばには、結婚相手であるエレンがいたのです。
すでに存在していた名作と、実際に起きた戦争を融合させたこの作品は、まさに「時代を映す演劇」としての役割を果たしています。
また、1987年の初演以来多くの観客に愛されているミュージカル『レ・ミゼラブル』も、実際の社会情勢から生まれた作品です。『レ・ミゼラブル』原作小説の作者、ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)は、自身が目の当たりにした「6月暴動」をモデルにこの作品を生み出しました。
19世紀のフランスの社会情勢は、非常に不安定でした。労働者は低賃金や長時間労働を余儀なくされていたほか、コレラの流行や経済的危機、食糧不足など、多くの面で国民の不満が高まっていたのです。
ユゴーは、そのような苦しい状態の中でも、自分たちの尊厳を勝ち取るために戦った人々の強さやたくましさを描き出したのでした。そして、それらが名作やキャラクターたちと共に、後世の人々にメッセージを伝えているのです。
『エリザベート』『ハミルトン』時代の寵児たちの物語
また、演劇やミュージカル作品には、実在した歴史上の人物を主人公にした作品が多くあります。日本でも人気の作品をいくつかあげてみましょう。
たとえば、脚本・歌詞をミヒャエル・クンツェさん、音楽・編曲をシルヴェスター・リーヴァイさんが手掛けた『モーツァルト!』は、オーストリア出身のクラシック作曲家モーツァルトの生涯を描いた、ウィーン発のミュージカルです。
天才モーツァルトの35年間の生涯を、「才能が宿るのは肉体なのか?魂なのか?」という深いテーマで描いています。
同じくミヒャエル・クンツェさんとシルヴェスター・リーヴァイさんのタッグによって生まれたミュージカル『エリザベート』では、オーストリア皇妃・エリザベートを主人公に、自由を渇望する彼女の愛と苦悩を描いています。
これらの作品を通し、観客は歴史に残る偉人や天才たちの苦悩や喜びを感じ、考えることができるのです。
アメリカ合衆国建国の父の一人であり、初代大統領ジョージ・ワシントンの右腕でもあるアレクサンダー・ハミルトンの生涯を描いたミュージカル『ハミルトン』にも触れておきましょう。
『ハミルトン』は歴史上の人物を題材にしながらも、リン=マニュエル・ミランダさんが手掛けたR&B調の音楽とラップ歌詞という意外性によって、多くの観客の心を掴みました。2016年のトニー賞では11部門を受賞し、現在アメリカで最も愛されるミュージカルのひとつとして知られています。
その他にも、フランス革命の前後を描いた『マリー・アントワネット』、第一次世界大戦下のパリの様子が描かれた『マタ・ハリ』など、観劇することで歴史的背景を深く味わえるのも、「時代を映す鏡」としての演劇の役割と言えるでしょう。
時代とともに変わる古典演劇。解釈の拡大や変容
数百年にわたって愛される古典演劇が、時代が進むにつれて作品の解釈が拡大されていくのも、演劇の持つ「時代を映す鏡」という要素のひとつです。
古典演劇の代表といえるシェイクスピアの作品にも、いくつかの興味深い変化や拡大の様子が見られます。
蜷川幸雄氏が演出した「NINAGAWAマクベス」は、武士、桜、仏壇などの日本的要素を前面に押し出しました。この演出は、日本人が西洋演劇であるシェイクスピアの作品をよりリアルに演じるための戦略であり、世界中から大きな喝采を浴びたのです。
また、シェイクスピアの喜劇のひとつ『ヴェニスの商人』には、高利貸しのユダヤ人・シャイロックが登場します。シャイロックはいわば悪役として登場しますが、「ユダヤ人=悪」という考えは、歴史の中で変貌を遂げてきました。
ナチスドイツ政権では、この作品が反ユダヤ主義のプロパガンダに使用された記述も残っています。この事実は、時には演劇の持つ力が排外主義に利用される恐ろしさを物語っているようです。
ナチスドイツが崩壊した第二次世界大戦後には、シャイロックがただの悪役ではなく、彼が受けた「人種差別」という側面の悲劇性を強調する演出が増えました。これは、演劇作品がそれぞれの時代の持つ価値観や問題意識によって変化していくことを象徴する例と言えます。
また、古典演劇を現在の感覚に引き寄せた解釈で演出するパターンも見られます。
1975年から1981年にかけて行われた「劇団シェイクスピア・シアター」によるシェイクスピアの全作品上演では、出演者がジーンズと白シャツを着て、早口の演技スタイルを披露しました。出口典雄氏によるこの演出は「ジーパン・シェイクスピア」として話題となり、当時としては非常に画期的な演出方法でした。
「時代を映す鏡」は演劇に限らない?歌舞伎にみるアプローチ
演劇やミュージカルにとどまらず、古典芸能も「時代を映す鏡」としての機能を発揮しています。
数多くある伝統芸能の中で、歌舞伎を例に挙げてみましょう。
数百年の歴史を持つ歌舞伎ですが、その時代ごとの流行や観客の需要を反映させ、新しいものを生み出しています。
三代目市川猿之助(現・二代目猿翁)さんが生み出した「スーパー歌舞伎」では、歌舞伎のエンターテイメント性を前面に押し出した演出や、従来の歌舞伎とは異なるテンポの速いセリフ回しが展開されました。
この新しい演出方法によって、新しい観客層が広がり、歌舞伎の持つ可能性が拡大したのです。また、「スーパー歌舞伎Ⅱ」では、大人気マンガ『ONE PIECE』を歌舞伎化し、高い評価を受けました。
スーパー歌舞伎のほかにも、注目したい歌舞伎界の試みをご紹介します。
2003年には、第十八代目中村勘三郎さんと劇作家・野田秀樹さんがタッグを組んだ『野田版 鼠小僧』が上演され、大ヒットしました。
その他にも、三谷幸喜さんが手がける『三谷かぶき』、串田和美さんや宮藤官九郎さんが脚本・演出を担当する『コクーン歌舞伎』など、さまざまなジャンルの劇作家が歌舞伎の演目を手掛けています。
現代も続く、「時代」を映す演劇
演劇は現代においても、「時代を映す鏡」として重要な役割を果たしています。
たとえば、2011年に起こった東日本大震災の後、震災の記憶を途絶えさせないために、多くの演劇作品が誕生しました。
「震災演劇連絡センター」では、日本劇作家協会東北支部のメンバーによって、震災に関する演劇作品の保存や収集が行われています。
さらに、新型コロナウイルスで演劇業界全体が大きな打撃を受けたことは、記憶に新しいことです。コロナ禍をきっかけにして、デジタルアーカイブや公演の配信など、時代に合わせたパフォーマンスの選択肢も広がっていきました。
シェイクスピアが「時代は演劇を映す鏡」という名言を書いてから400年以上経った現代においても、演劇は時代のさまざまな面様を映し続けているのです。
参考書籍:
『ハムレット』作:シェイクスピア、翻訳:福田恆存(新潮社)
『新訳 ハムレット』作:シェイクスピア、翻訳:河合祥一郎(角川文庫)
多くの芸術の中でも、時代の影響や様子を映し出すという点で、演劇はとても特徴的だと思います。演劇の本質は変わらないものの、常に進化を繰り返しているのだと胸が熱くなりました。



















