『リア王』は、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)によって書かれた戯曲で、「四大悲劇」のひとつに数えられます。
これまで国内外で多くの劇団が『リア王』を上演してきましたが、その人気は近年特に高まり、2026年は本作の上演ラッシュといっても過言ではありません。5月には彩の国シェイクスピア・シリーズの最新作として、吉田鋼太郎さん主演、長塚圭史さん演出による『リア王』が上演されました。9月6日(日)からは歌舞伎役者の中村芝翫さん主演・井上尊晶さん演出による公演が、9月21日(月・祝)からは内野聖陽さん主演・森新太郎さん演出による『リア王』が上演予定です。
400年以上前に書かれた劇作品でありながら、『リア王』はなぜ現代の私たちを魅了するのでしょうか。本記事ではその魅力について、あらすじや登場人物の相関関係、観劇時の注目ポイントなどを解説します。
『リア王』のあらすじは?「最も悲劇的」と言われる老王の物語
古代ブリテンの王・リアは老齢のため、3人の娘たちに領土を分配することを決めました。順番に娘たちのもとに滞在し、隠居生活を送ろうと考えたのです。
分配に先立ち、リアは娘たちに「おまえたちのうちだれが、わしを最も愛しているか。それに応じて最大の褒美をやろう」と語りかけます。そして「愛情が大きければ見返りも大きいぞ」と言って、娘たちの愛を試したのです。
長女のゴネリルと次女のリーガンは言葉たくみに父への愛を謳い、気を良くしたリアは2人に広大な領土を与えました。
しかし、リアの一番のお気に入りであった末娘のコーディリアだけは、姉たちのように甘い言葉を口にはしませんでした。彼女は美辞麗句を並べるのではなく「ふつつかゆえ、この心を口にまであげることができません。私は子として陛下を愛しております。それ以上でも以下でもございません」と父に訴えました。
真意を理解できなかったリアは、期待外れの行動をとったコーディリアに激怒し、国から追放してしまいました。
さらに、コーディリアをかばった忠臣・ケント伯爵さえ遠ざけたリア。まずは大勢の供を引き連れ、長女ゴネリルのもとへと身を寄せるのですが……。
四大悲劇の中でも「最も悲劇的」と言われている『リア王』。全編を通して畳みかけるように悲劇が続きます。
これだけは押さえておきたい。『リア王』の相関関係
『リア王』の登場人物には、大きく分けて三つのグループがあります。
相関関係を理解する際、この分類を知っていると非常に便利です。
グループ①:リアと3人の娘
古代ブリテンの王リアと、その3人の娘です。
リアの長女ゴネリルはオールバニ公爵と結婚しているものの、グロスター伯爵の息子エドマンドに恋してしまいます。
次女のリーガンはコーンウォール公爵の妻ですが、作中で未亡人となり、エドマンドとの再婚を画策します。
末娘のコーディリアは、物語の冒頭では独身です。バーガンディ公爵とフランス王に求婚されていますが、公爵の方はコーディリアが勘当されたため申し込みを取りやめました。一方、フランス王は彼女の誠実さに心打たれ、結婚を決めたのでした。
グループ②:グロスター伯爵と2人の息子
リアの家臣であるグロスター伯爵も、この物語の重要人物です。彼には2人の息子がいますが、それぞれに異なる立場にあります。
兄のエドガーは、グロスター伯爵と正妻の間に生まれ、嫡子として扱われています。一方、弟のエドマンドは愛人の子どもで、私生児として扱われているのです。
野心を抱いたエドマンドが兄・エドガーを陥れるところからこの兄弟のストーリーが始まります。前述の通り、エドマンドはゴネリルとリーガンの両方を誘惑しますが、その悪事が物語をどう動かしていくのでしょうか。
また、グロスター伯爵が追い込まれる不幸な出来事や、エドガーの反撃も注目ポイントです。リアと娘たちのドラマはもちろん、この親子の物語も作品を貫く太い糸です。
グループ③:リアの家臣たち
リアには2人の忠実な家臣がおり、彼らは物語のほとんどを王の側で過ごします。1人目はケント伯爵です。コーディリアを追放しようとしたリアをいさめたことで怒りを買い、城を追われてしまいました。しかし、その後正体を偽りながらもリアに仕え、忠臣であり続けます。
もうひとりは道化です。宮廷には、王や貴族たちを笑わせたり、時に厳しい意見を言ったりする「道化」という役職がありました。彼らは身分が低いものの、阿呆のふりをして王に意見できる数少ない存在でした。
公演によってはコーディリア役と道化役を同じ俳優が演じることもあります。両者の関係に着目すると、『リア王』をより深く味わえるかもしれません。
『リア王』名台詞6選。愛と人生を映す言葉たち
複雑に絡み合う人間関係の中で、登場人物たちはそれぞれに忘れがたい言葉を残します。ここでは、作品の核心に触れる名台詞を6つ選んでご紹介します。
コーディリア「だって私の愛は、この舌よりもっと重いのだもの」(第1幕第1場)
物語の冒頭でリアに愛の言葉を求められたコーディリアが、心の中で呟く台詞です。
この台詞には、大げさな言葉によって愛を軽々しいものにしたくないというコーディリアの誠実さが表れています。
リアがコーディリアの真の愛を見抜けなかったことから、『リア王』の物語は始まります。そういった意味で、この台詞は非常に象徴的だと言えるでしょう。
ケント伯爵「末の娘御は陛下を愛しておらぬのではない。声が小さく、虚ろな響きを出さぬからと言って心が空なのではない」(第1幕第1場)
コーディリアの真意を見抜けず、彼女を追放しようとしたリア。それをケント伯爵がいさめる台詞です。
コーディリアの言葉は、姉たちの美辞麗句に比べると素っ気なく思えるかもしれません。しかし、口が重いことと愛の重さは同じではない、とケントは訴えています。現代の私たちもハッとしてしまう名台詞です。
道化「リアの影法師だい」(第1幕第4場)
娘たちに領土を分配し、長女ゴネリルの館に身を寄せたリア。しかし、ゴネリルや彼女の執事は、リアに対して無礼な態度を取ります。
リアは「誰かわしを知っている者はおるか?これはリアではない。(中略)わしが誰か分かる者は誰だ?」と憤慨して問いかけます。その問いに対し、道化は「(今のリアは)リアの影法師だい」と答えるのです。
この台詞は、王の立場を手放したリアが「かつての自分の影法師に過ぎない」という痛烈な皮肉です。人間が、いかに他者を社会的地位や肩書きで判断するかを見事に指摘しているように感じられます。
エドガー「最悪であり、最低で、運命に見放されたとしても、常に希望があり、恐れることはない。嘆くべきは、てっぺんからの転落だ。最悪にいれば、笑いへと上昇する」(第4幕第1場)
グロスター伯爵の嫡子であるエドガーは、エドマンドの奸計によって城を追われてしまいます。
その後、物乞いに姿を変えて反撃の機会をうかがうエドガーの台詞がこちらです。ただ不幸を嘆くだけではなく、どん底にいる自分の境遇を「あとは上昇するだけだ」ととらえています。
筆者個人としては、後ほどご紹介するエドマンドの台詞との対比になっていると考えています。
リア「人は生まれると、この阿呆の大いなる舞台に出たと知って泣くのだ」(第4幕第5場)
ゴネリルとリーガンにひどい仕打ちを受け、リアは嵐の荒野をさまよいます。絶望によって狂気に陥ってしまったリアは、この言葉にたどり着きます。
「阿呆の大いなる舞台」という言葉は、人間社会全体を指しているのでしょうか。世界に生まれ落ちることそのものが悲しみである、というこの台詞は、まさに最も悲劇的だと言われる『リア王』の物語にふさわしいかもしれません。
エドマンド「運命の糸車はちょうどひとまわりして、俺はこのざまだ」(第5幕第3場)
自らの野心のために、兄エドガーを陥れ、ゴネリルとリーガンの両方を誘惑したエドマンド。彼の野望は叶うかのように思われますが、その悪事が露見します。
この台詞は、帰還したエドガーに討たれたエドマンドの最期の言葉です。
河合祥一郎さんによる『新訳 リア王の悲劇』(角川文庫)では、「エドマンドはどん底から運をつかんで運命の糸車の最も高いところまで上がりながら、糸車は一周して、またどん底へ落ちてしまったということ」と解説されています。
ここからは、悪事は必ず自分に返ってくるという「因果応報」の考え方が読み取れます。さらに、どん底から這い上がって帰還したエドガーと、頂点から転落したエドマンドとの対比が感じられる構造でもあります。
引用:シェイクスピア・著、河合祥一郎・訳『新訳 リア王の悲劇』(角川文庫)
『リア王』観劇のポイントは?2つの視点で作品を味わう
個性豊かな登場人物、度重なる残酷な出来事。そして現代の私たちにも深く刺さる名台詞の数々。『リア王』には優れた演劇の要素がたくさん含まれていますが、観劇の際にはどんな点に注目すれば良いのでしょうか。
ここからは、筆者が個人的におすすめしたい「観劇する上での視点」をご紹介します。
まずは、『リア王』に登場するテーマを、現代日本の社会問題に引き寄せて観劇する視点です。
『リア王』には、数百年も昔に書かれたと思えないほどに現代的な問題が登場します。親の扶養や遺産相続、認知症、老い。作品に登場するのは王や公爵、貴婦人ですが、彼らが直面するのは、人間ならいつかは向き合うことばかりです。この視点を持って観劇すると、登場人物のいずれかに感情移入できるかもしれません。
また、「誰のせいで悲劇が起きたのか?」という視点で観劇しても面白いのではないでしょうか。
作中で起きる悲劇の数々は、誰が招いたものなのでしょうか。娘たちの真意を見抜けなかったリアなのでしょうか?それとも甘い言葉を囁いたゴネリルとリーガンでしょうか?野心のために兄を陥れたエドマンドでしょうか?息子の企みに気付かなかったグロスター伯爵でしょうか?
もしも少し意地悪な見方をするのなら、コーディリアがもっと世慣れていて、リアの求める美辞麗句を口にしていたらどうだったでしょう。そもそもの悲劇は起きなかったのでしょうか?
その問いを抱えて、劇場に足を運んでみるのはいかがでしょうか。
知れば知るほど奥深く、ますます作品の虜になる『リア王』。 上演ラッシュのこの機会に、ぜひ劇場で素晴らしさを堪能していただきたいです。



















