1759年、イギリスの田舎町で絞首刑を宣告された少女・サリー。しかし彼女は妊娠を主張し、その真偽を確かめるべく12人の女性が集まります。生理、妊娠、妻の役目、更年期障害、貧困格差…様々なテーマが絡み合った『ザ・ウェルキン』に大きな衝撃を受けました。(作品についてはこちら)※ネタバレにご注意ください

寄り添うことで、人に寄り添ってもらえる価値があると気付ける

「この子を好きになれとは言わない。この子に寄り添ってほしいの。そうすればこの子も自分は人に寄り添ってもらう価値があるって思えるでしょう」。サリーの妊娠を証明しようと奮闘する助産師・エリザベスのセリフです。

『ザ・ウェルキン』では12人の女性たちが、自らの経験を元に、ある種自分勝手に持論を展開します。全員妊娠経験があると言っても、妊娠初期の症状は様々。気持ち悪さも、母乳が出始めるタイミングも、どの匂いがダメだとか、食欲の増減など、本当に人それぞれ。“経験がある”からと言って、必ずしもサリーが自分と同じとは限りません。特に医療が発達していなかった時代に、初期の状況を判断するのはかなり無理難題なはずです。エリザベスは助産師として、“妊娠初期を判断し、それが彼女の生死に直結する” のは非常に困難なことであると訴えます。

さらに女性たちは当初、サリーの横暴な態度から、“妊娠は嘘だ”と決めつけます。しかしサリーの言動は、生まれた環境が恵まれていなかったこと、周囲に理解者がいなかったこと、そして殺人罪で絞首刑を言い渡された恐怖の中にいることから生まれている。それを必死で訴えるのが、冒頭のサリーのセリフです。自分は人の言動だけで、他人を判断していないか。その人の裏側にある背景まで想像し、寄り添えているのか。寄り添う態度は、相手に存在価値を伝える行為でもあるのだと気付かされます。

最後に主張するのは、“人間としての尊厳”

サリーが文字通り命懸けで主張したのは、「人々の見せ物になって死にたくない」ということ。公開処刑で殺されることが、いかに酷いことかを切実に訴えるサリーの言葉に、これは全てを失った彼女が、最後に“人間としての尊厳”を守るための戦いなのだと悟ります。サリーを演じる大原櫻子さんの魂の叫びに、最後は涙が止まりませんでした。

女性劇作家が2020年に本作を書いた意味とは?

作品の舞台は1759年、イギリスの田舎町ですが、作品が生まれたのはなんと2020年1月。様々な歴史的事実や社会課題に切り込む女性劇作家ルーシー・カークウッドが手がけ、コロナ禍の影響を受けながらも大きな反響を呼びました。女性への偏見・抑圧や公開処刑、貧困差別は、過去のものと言い切れるか?現代にも共通するものがないか?そう彼女から強く議題を突きつけられているような気がしました。

今もなお、性被害、生理に対する男性の理解の低さ、家事をするのは女性というイメージの強さ、性別に関わらず圧倒的権力に理不尽に屈服させられることも、何も問題は終わってはいない。いつかではなく、今世界を変えていくために、男女共に本作を観て、自分に問いかける時間を生んでほしい。そう強く願う作品でした。

『ザ・ウェルキン』は7月31日までBunkamuraシアターコクーンにて上演予定。チケット情報の詳細はこちらからご覧ください。

Yurika

カーテンコール後、退場のアナウンスがかかるも拍手が鳴り止まず、再度カーテンコール、スタンディングオベーションとなりました。大きく心が揺さぶられ、これが人生における演劇の役割だと感じました。