2026年10月から東急シアターオーブにて上演される『ミス・サイゴン』。開幕に先駆け7月28日に早稲田大学大隈記念講堂 大講堂にて「『Miss Saigon』から聴く世界 ―トーク&歌唱イベント―」が開催され、キム役のルミーナさん、クリス役の小林唯さん、ジョン役の金本泰潤さんらキャスト陣が、早稲田大学 麻生享志教授(早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)館長)による歴史解説を受け、本作の楽曲を披露しました。

「フィクションというよりヒストリー、歴史そのもの」

ベトナム戦争末期のサイゴンを舞台に、ベトナム人の少女キムと米兵クリスの愛と別離を描いた名作ミュージカル『ミス・サイゴン』。日本では1992年から1年半の帝劇ロングラン以来、通算上演回数1569回を重ねています。

本作の関連イベントとして、5月1日から早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)で企画展「『ミス・サイゴン』から見る世界-戦争、難民、そして文学」が開催されています。本展示は11月8日まで開催予定で、6月25日時点で16,935名の来館者を記録。<共催:東宝株式会社、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)>

本展示の関連企画として、国の重要文化財である大隈記念講堂にて「『Miss Saigon』から聴く世界 ―トーク&歌唱イベント―」が開催されました。イベントでは、世界における戦争・移民・難民の問題を長年研究してきた、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)館長の早稲田大学麻生享志教授が戦争の歴史や難民について解説。

『ミス・サイゴン』2026-27公演に出演するキム役・ルミーナさん、クリス役・小林唯さん、ジョン役・金本泰潤さん、キャストの伊藤広祥さん、植木達也さん、小林遼介さん、高瀬育海さん、深堀景介さん、古川隼大さんが、麻生教授の講義を受けたほか、「世界が終わる夜のように」「命をあげよう」「ブイ・ドイ」の楽曲披露を行いました。

麻生教授は、『ミス・サイゴン』の作・音楽を手がけたクロード=ミッシェル・シェーンベルクが雑誌で見た1枚の写真−ベトナム人の母がアメリカにいるはずの父の元へ娘を送り出そうとする“究極の自己犠牲”の姿から、作品の着想を得たことを紹介。

ベトナム戦争は、ソビエト連邦と中華人民共和国の支援を受けた北ベトナムと、アメリカが支援する南ベトナムという、ベトナムを戦場にした米ソの冷戦である実態が語られ、『ミス・サイゴン』ではトゥイというキャラクターで描かれる、南ベトナムに存在する反南ベトナム政府勢力・南ベトナム解放民族戦線「ベトコン」が解説されました。

麻生教授は「南ベトナムを象徴するキム、アメリカを象徴するクリス、ベトコンつまり北ベトナムを象徴するトゥイでの三角関係という、当時の国際情勢を見事に描いたミュージカル」と語り、「戦争孤児であるキムが生計を立てるためにエンジニアが経営するドリームランドで働き、戦争に疲れ切ったクリスが純粋なキムに惹かれていく。戦時中の最後にはこういったカップルが実際にかなり多く存在したようです。そこには本当の恋愛であったり、事実婚であったり、単に保護と依存の関係性であったり…それらがどういった割合であるかは測ることが難しい」と解説。

小林唯さんからはキムとクリスの関係性を踏まえて「南ベトナムの市民と、アメリカ兵との交流は現実に密にあったのか」という質問が投げかけられ、麻生教授はアメリカのロックミュージックがサイゴンの若者たちの間で人気を博していたことを例に、「交流は行われ、良好な関係性だったと思われます。一方で、南ベトナム人は国の状態に満足はしていなかったし、戦争から逃げ出したいと願っていた。それが『ミス・サイゴン』におけるジジのような存在です。逃げ出す先としてはやはりアメリカしかなかったと思いますが、戦時中に現実にアメリカに逃げ出せた人というのは統計上ではほとんど記録されていません」と語られました。

こういった背景をもとに、ルミーナさんと小林唯さんは<世界が終わる夜のように>を、ルミーナさんは<命をあげよう>を力強く歌唱。ルミーナさんは「ミュージカルの背景を細かく探りながら深く聞くことができたので、これからの稽古でも生かしていけたら」と語り、小林さんは「ミュージカルの歌は何回も何回もお稽古して、完成するまでにものすごく長い時間がかかるので、今はまだまだですけれど、今日聴いたことを踏まえて、言葉の裏を深めて、本番までに準備したい」と意気込みました。

続いて麻生教授から、ミュージカルでも印象的なヘリコプターのシーン、サイゴン陥落における<フリークエント・ウィンド作戦>の解説が。「1975年、4月29日の朝−ベトナムの4月は真夏のような季節です−ラジオ局からビング・クロスビーの名曲<ホワイト・クリスマス>が流れ、これが知る人ぞ知る撤退作戦の合図でした。これを聞いたアメリカ人とごくわずかの南ベトナム人はアメリカ大使館に殺到します。投入されたヘリコプターの数は70機、避難に成功したアメリカ人は1,000人、南ベトナム人は6〜7,000人。それが『ミス・サイゴン』でもよく知られるシーンです。キムは大使館に入れず、脱出できなかった。大使館だけでなく、サイゴン川から船で逃げた人たちもいます。ヘリコプターと船は南シナ海に展開するアメリカ軍空母に避難し、そこからフィリピンを目指しました」。

さらに作中ではキムとクリスの子ども・タムが象徴する、戦争孤児ブイ・ドイ(埃の子)について、「少なくとも5万人くらいはいたと言われています。ベトナム社会では敵の子として差別・迫害を受け、時には親ですら、認知しないということもありました。認知してしまうと自分も差別・迫害を受けるからです。アメリカもそういった子どもの受け入れを拒否してきましたが、1987年にようやく重い腰を上げ、ホームカミング法で受け入れを表明しました。1994年までおよそ2万5,000人がベトナムからアメリカに移住しますが、実はそのうち子どもは1万人もいません。多くは親や親戚、作中のエンジニアのような“自称親族”がアメリカに渡航しました」と解説。

その他、ベトナムに残された人々の再教育キャンプやボートピープル、難民から生まれた文学についての解説が行われ、ルミーナさんは「タムのその後が気になっています。今もタムのようなブイ・ドイがたくさんいるのでしょうか」と質問。麻生教授は「70年代から80年代初頭までは日本でもこういった子どもたちはベトナムほどではないですが特別扱いされていたと思います。今はベトナムでも状況が変わり、アメリカとの関係が強いというのはポジティブに評価されています」と回答しました。

ジョン役の金本泰潤さんからは「アメリカが重い腰を上げて受け入れを表明したきっかけは何だったのか」という質問を受け、麻生教授は「国連からの要請、国際社会からの批判というのが大きいです。また退役軍人はリベラルな人々も多いので、そこから声を上げた可能性もあると思います」とコメント。

小林唯さんからは「戦争が終わってアメリカにいる状況下で、クリスがキムを迎えに行く、探し出すというのは不可能に近かったのでしょうか。ジョンの活動をきっかけにキムを見つけ出すわけですけれど、個人で探すのは難しかったでしょうか」と質問があり、麻生教授は「現実にそういうケースはいくらでもありました。このミュージカルはフィクションというよりはヒストリー、歴史そのものです。舞台として分かりやすくはされていますが、ディティールは“そういうことはあるよね”ということばかり。個人で探すのは難しかっただろうと思います。実際に教え子でアメリカ人の父とスウェーデン系の母を持つ子がいますが、ある時ベトナム人の女性から父親に連絡があり、子どもがいて出国の手助けをしてほしいと言われたそうです」と実話を元に語られました。

金本さんは伊藤広祥さん、植木達也さん、小林遼介さん、高瀬育海さん、深堀景介さん、古川隼大さんと共に<ブイ・ドイ>を熱く歌唱。「オーディションでも歌稽古でも歌ってきましたけれど、先生のお話を聞いて国を動かす実感がなかったなと感じ、訴えようという気持ちを増して歌うことができた」と歌唱に込めた思いが語られました。

また、小林唯さん、金本さんはそれぞれベトナム現地を訪問。小林さんは「戦争の匂いがまだ残っているような印象を受けました。フランス占領下時代のフランス様式の建築や、サイゴンからホーチミンに名称が変わって50周年ということで国旗がたくさん出ていて、まだ最近の出来事だと実感しました。資料館にも行かせていただき、日本では規制がかかるような衝撃的な写真もあって、これがクリスの見た景色なのだと目に焼き付けました」、金本さんは「クチトンネルにツアーで訪れた際、バスガイドさんが、枯葉剤の健康被害は親子3代、200年経たないと抜けない。まだ50年だと怒りに満ちた声でおっしゃっていたのが印象に残りました。トンネルではベトナム兵による巧妙な罠が仕掛けられていたことを知り、暑さも厳しく、アメリカ兵にとっても想像し難いほど過酷な状況だったと感じました」と振り返りました。

『ミス・サイゴン』では本企画の他、稽古場でも歴史について学ぶ機会や、ディスカッションの機会を設けながら作品製作が進められていくとのこと。

最後に麻生教授から「カンパニーの皆さんの素晴らしい歌を聞かせていただき、心打たれました。実はリハーサルで涙が出てきそうになって、本番はどうなるかと思いましたが、一回聞いていたので耐えきりました(笑)。上演も楽しみにしております」、

金本さんから「これから先輩方にも教えていただいて、しっかり学んで、しっかり落とし込んで、ジョンという役を生きていきたいと思います」、

小林さんから「死者の声・思いを自分たちが言葉で体現し、ある種の代弁者という演劇的な役割が僕たちにはあると思っております。一生懸命やりたいと思います」、

ルミーナさんから「暗い作品ではありますが、その中にたくさんの愛が溢れております。愛のお話でもあります。それぞれが、その時代に最善の選択をした上で起きる状況たちです。精一杯作品を皆様にお届けできるよう、稽古に挑んでまいります。ぜひ本番もお越しください」とメッセージが贈られました。

ミュージカル『ミス・サイゴン』は2026年10月16日(金)~11月29日(日)に東急シアターオーブにて上演。<プレビュー期間:10月16日(金)~10月22日(木)>12月5日(土)~17日(木)に大阪公演(梅田芸術劇場 メインホール)、12月24日(木)~27日(日)に福岡公演(福岡市民ホール 大ホール)、2027年1月8日(金)~11日(月・祝)に静岡公演(アクトシティ浜松 大ホール)、1月17日(日)~24日(日)に北海道公演(札幌文化芸術劇場 hitaru)が行われます。公式HPはこちら

また企画展「『ミス・サイゴン』から見る世界-戦争、難民、そして文学」は早稲田大学国際文学館展示室(4号館)、早稲田大学歴史館(1号館)にて11月8日(日)まで開催されます。(毎週水曜日は休館、そのほか夏季休業あり)。詳細はこちら

Yurika

各キャストの皆さんが、演じる役柄の視点から歴史と向き合おうとしている姿が印象的でした。本レポートでは約1時間半のイベントのうち一部をお届けしております。企画展ではより詳細に歴史を知ることができますし、麻生教授の「『ミス・サイゴン』の世界: 戦渦のベトナムをくぐり抜けて」という書籍もあります。こういったものを通して、作品への理解を深めていくことが、私たち観客が演劇と共にできることではないかと思います。